腹八分で生きよう

軽やかに、豊かに生きたい!!生き方、暮らし、健康、お金、新たな発見、何気ない日常の気づき・・・思いのままにつづっていきます

話をよく聞け!

昔から、「話の腰を折る女」と言われます。

高校生の時に「バックブリーカー女」とも言われました。

これ、意味わかりますか?

プロレス技です。笑

 

それはさておき、この話の聞き方(残念な聞き方)はどこで養われたのでしょうか?

それは、少なからず両親が影響しているのではないかと思っています。

 

私の父親は、私の質問や意見に対して、いつの間にか聞くのを忘れ、自分の意見やうんちくをこんこんと語り始め(しかも何度も同じことを繰り返す)、そしてごり押しする。

だから、もう聞くのやめよう・・・と思いました。

 

私の母親は、私が話を始めても上の空(そもそも考えことをしていて私の話を聞く気がない)だったり、相談ごとをしても過去には戻れないことをお母さんは知らないの?って聞きたくなるくらい過ぎてしまったことをねちねちと話し始める。

だから、話のあとに落ち込みます。

私ってダメな人間ね・・・って。

 

私は親から話をしっかり受け止めてもらい、共感・受容された経験が少ないのだと思います。

つまり、話をしっかり聞いてもらった経験が少ないので、人の話が終わるのを待てない、そしていつの間にか人の話を奪い、自分の話を始めてしまう。

 

さらに残念なことに聞き方が養われていないからか、話し方まで悪くなってしまっているのでは?とよく感じます。

 

話し始めても支離滅裂。

自分でも途中から何言ってんだかよくわからなくなってきたと感じ始め、

相手も「結局何が言いたいの?」と顔が曇ってくるのがわかります。(勝手な解釈かもしれませんが)

最終的には、話すんじゃなかった。ごめんなさい・・・と肩を落として引き返す。

 

親から自分の意見をしっかり聞いてもらったことがないからか、

自由なマインドで言いたいことをよく考えてゆっくりと話すことが苦手です。

小さい頃の経験が全てではないとは思ってはいますが、

スタートが肝心なのではないのかとも考えてしまいます。

 

でも、過去に戻ることはできません。

そこを、ねちねち言うつもりはありません。

 

今から何ができるのか、前向きに考えてみました。

仕事でもプライベートでも人の話をしっかり聞く(相槌を打つ、自分の話したいことはぐっとこらえて最後まで)

当たり前のことですね。笑

 

特に、こどもの話は最後までしっかりと聞いてあげようと思います。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

直感を大切に

今日は直感というキーワードが頭をよぎった。

「直感を大切に」という直感だ。

 

私は、直感がさえているほうかなと思う。(その時の状況にもよるが…)

いわゆる「ピンと来た」っていうときにはそれが本当に現実化する(こともある)。

 

ただし、自分の利益になることとはかけ離れたことで実現することのほうが圧倒的に多い。

時々ちょっとしたチャンスで怖いくらいにゾーンに入る時もあるが。

 

子どものころの体験で今でも覚えているのは、

父と一緒に見ていたプロ野球のTV中継でバッターボックスに入っている選手が

「ホームランを打つな」と直感が降りてきたこと。

3番や4番バッターが打つのを言い当てる確立は高いと思うが

私の直感はそういった選手の時に降りたのではない。

 

今でもはっきり覚えているのが読売巨人軍の往年選手、山倉捕手。

たしか「意外性の男」というニックネームだったかな。(なつかしい~)

 

山倉さんがホームラン打つなと思ったら本当に打ったのだ。

あの時は、まじか!?と思ったけど

打った直後、父親に「この選手がホームラン打つと思った」と言ったら

そんなの後から何とでも言えるとさらっとかわされた。

そりゃそうだ。

 

意外性の男は「意外なことをする」わけだから、

私が直感で言い当てたのはあながち「そんなわけあるか!」的な

びっくりな出来事ではなかったのかもしれない・・・。

巨人ファンに言わせれば「意外な男、山倉」は

ここで打つのは当然なのかもしれない。

 

その後、野球の試合で何度か確かめてみた。(私は野球観戦好きの女子であった)

高校野球

プロ野球

 

その実験結果で分かったことは、

「直感で感じたことを口にすると現実化しない」ということ。

口にせず、黙っていると現実化して

口にすると、現実化しない。

 

口にして実現しなかったことが、口にしなかったら実現したのかは不明。笑

これは実験のしようがない。笑

 

決めた!

自分プロジェクト「直感に従う」をやってみよう。

 

ではでは。

 

 

 

 

丁寧に食事をする

昨日、松浦弥太郎さんの本との再会について書いたが、

早速、すごくいい影響を受けているなと感じている。

まず、生活を前向きに、自分らしく、丁寧に、といった気持ちになっている。

 

そして、ふと、本の中に書かれていた「自分プロジェクト」を立ち上げようと思った。

いつまで続くか乞うご期待!

「自分プロジェクト」というのは弥太郎さんが推奨している、

「これができたら素敵だろうな、面白いだろうな、新しい発見があるだろうな」と思うような何かを1日一つやってみるというもの。

必ずやらなくてはならない!ということでない、ゆる~い考えが弥太郎さんの優しいところ・・・なのだが、

たいしたことではなく、ちょっとした遊び心からやってみることであったり、実験的にやってみることであったり…の何かを一つ1日の中で気軽にやってみようと思ったのである。

本日の自分プロジェクトは「丁寧に食事をする」である。

 

丁寧と言っても何をていねいにするか?であるが、

申し訳ないくらい簡単だ。

それは、

①よく噛んでゆっくり味わう。

②くちゃくちゃ音を立てない。 

の2点。

 

①は一人で食べていると早食いになり、あっという間に食べてしまうから。

②は恥ずかしながら気を付けていないと音を出してしまうことがあるから。

 

昼食で「丁寧に食べる」を実践してみた。

なんだこんなこと…⁉と思われるかもしれないが、こんなことでいいのだ。

 

①については、お昼のお弁当で実践してみた。よく噛むと食材の味がよく感じられることと、少量でも結構おなかがいっぱいになるという気づきがあった。

②については、意識的にすることでとてもいい気分で食事ができた。

 

毎日こんな風に小さい気付きや面白さを積み重ねたら1年後はどうなるのだろう??

 

さて、明日の「自分プロジェクト」は何にしようかな?

 

ではでは。

 

 

 

断捨離で降臨

ここ数日、断捨離実行中。

といっても自分の右手をブルトーザー、左手をゴミ収集車(ゴミ袋をもって広げる)のごとく片っ端からザザーとゴミ袋へダイブさせるのにはまだまだ勇気が足りない。

全部捨てたら気持ちがいいんだろうな・・・とは思うけど。

 

昨日まで「とっておこう」と思っていたのに、今日は「もういらない」と思うこともあるように感じ、久しぶりに身の回りを見直すことにした。

 

これまでも結構処分してきた「本」を久しぶりにを棚から取り出して「いる?」「いらない?」の判別作業をしてみることに。

 

いつか読もうと思っていた数冊を知人に譲ることにし、ほんとうに読みたい本は近日中に読むことにした。

それが

①「暮らしのなかの工夫と発見ノート 今日も丁寧に」松浦弥太郎 著

②「暮らしのなかの工夫と発見ノート あたらしいあたりまえ」松浦弥太郎 著

②「暮らしのなかの工夫と発見ノート あなたにありがとう」松浦弥太郎 著

の3冊。

 

実は3冊とも7.8年くらい前に購入し、①は半分くらい読んで心が清々しくなったのだが、仕事に忙殺され(言い訳)読了までたどり着くどころか、清々しい気持ちもいつしか消え去り、棚の奥深くに押し込まれて、さらに断捨離ハイの勢いに任せ、手放してしまうところであった。

②、③に至っては1ページも開かずにお見送りするところであった。

 

今①を読み返したところ、清々しいのはもちろん、忘れかけていた、そして今必要としている自分の軸や感覚を研ぎ澄ますことをシンプルに思い起こさせる1冊であった。

「おぉ~、これこれ」(語彙力…)

 

今日、この時再度手にすることができた偶然に感謝し(少々大げさかもしれないが)味わって読もう。そして羽ばたこう、新しい自分へ。笑

 

断捨離ってただ捨てることで何かを得るだけでなく、今あるものから本当に大切なものを思い起こさせる意味もあるのよね、きっと。

 

ようこそ、弥太郎さん。

ありがとう、弥太郎さん。

 

ではでは。

わくわくナンバー

昨日4月24日は、地元の神社の春季大祭があり帰省しました。

こどものころから大好きなお祭り。

笛と太鼓の音で心がウキウキしちゃいます。

朝ドラでいうところの「ちむドンドンしちゃう」

 

コロナ禍ということもあり、縮小されての開催でしたが、ここ2年間はお祭り自体が中止だったので開催できただけでも喜ばしいことです。

何か所かある境内の入り口には、検温所が設置され、異常のない場合はリストバンドが渡されその後はフリーパスにできるような配慮がされていました。

 

春の風を感じながら境内を歩き、お参りして、重要無形民俗文化財になっている舞楽を見ました。

このお祭りは故郷の誇りだなあと毎回実感します。

今年は神輿も獅子舞も無し。

悲しい。

 

踊りもさることながら、衣装が素敵。

北欧のファブリックみたいな衣装もありました。

こどものころはそんなこと関心がなかったから、大人になったのね私…。

お昼のメインイベント、お走り(神輿が境内を走ります)もありませんでした。

残念

 

じっくり舞楽を見ようと思っていた矢先、諸事情で実家の母からの呼び出があり帰ることに。

後ろ髪を引かれる思いで、神社を後にしました。

 

お昼にはお寿司、お刺身、焼き魚とご馳走を堪能しました。

15時には実家を出発して自宅へ。

高速を使えば2時間のところ、下道で3時間半走りました。笑

なんだかドライブを楽しみたくって。

 

そこの道中に奇跡が!!

4月17日の満月を迎えたから、ちょっとステージが上がった気がしていました。

なんとなくです…

何のステージか!?笑

 

以前から通りすがりの車のナンバーを見る習慣があり(縁起担ぎみたいな感じです)

4時間のドライブ中も何となく対向車や前後の車のナンバー見ていたのですが

実家を出てから30分ほどの間に

111

333

222

555

444

を確認!!

最後は「444」だからなかなかいないだろうなと思ったのですが

「555」の後にまもなく発見。

かなり気持ちが高ぶりました。

というか、「え、ほんとに??」ってちょっと心がざわつきました。笑

 

それだけでなく、

その後も

1111

2222

3333

を確認。

 

途中からはゾーンに入った感じで「ん?臭うぞ(数字が来るぞ)」って一人でつぶやいてました。

 

先日のハロ(日暈)を見たときも感動したけど

なんだか奇跡を引き寄せることができる

そんな気持ちになっています。

本日、無職一日目

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こんにちは。

ついに無職になりました。

 

やってみたいことは特になく、でも細々とやりたいことはある。

でも特に何も始められなかった。

 

今日一歩も外に出なかった。

このままこの生活をしていたら、筋肉が落ちてブクブクと太ってしまうのは避けられない。

もっと計画的にスケジュールを立てて生活のリズムを整えて…とか考えるキチンと自分と

焦らずにやろうと思った瞬間にやればいいじゃん!っていうテキトーな自分のせめぎ合い。(笑)

 

今日は4月1日エイプリルフール。

新月

天体すべて順行のよいスタートの日。

私の新たな一歩の日。

特に変わったことのなかった日。

 

あ、ありました。

記念すべき出来事。

今日のMステにマイヘアが出まして。

久しぶりに椎木君の歌声を聞きました。

よい歌声とパフォーマンス。

「ブラジャーのホックを外すときだけ、心の中まで分かった気がした…」

というびっくりな歌詞から始まる「真赤」と「歓声をさがして」(新曲)を歌いあげました。

 

5年くらい前にまだ小さな箱でライブする彼らを一目見たくて

チケットが唯一とれた大分まで遠征したのよね。(笑)

今じゃ、アリーナで2daysとかしちゃうんだって!

 

椎木君は小犬みたい。

見た目はミニチュワダックスみたいなんだけど、

歌い始めると大型犬みたいに噛みつくような迫力だわ。

カッコつけてないけど、かっこいい。

でも歌詞は、ちょっと女々しチックなのよね。

 

上越市出身だからどうなろうとも陰ながら応援していくけど、

いつまでも椎木君の好きなように歌っていってほしいと願うばかり。

 

 

 

新社会人のみんな、元気にスタートできたかな?

 

 

 

今日で一つのステージが終わります

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今日2022.3.31で9年間お世話になった職場を退職します。

既に有休消化で職場には行っておりません。

職場は明日からの新年度準備で大忙し。

辞めていく者を思って干渉に浸る暇なんてないでしょう。

 

辞めるのは嫌だからではない。

いや、嫌だった部分もある。

でも世間一般に言われているような心身ともに

ボロボロになっているわけではない。

 

次のステップに向かうためにお知らせがきたのだ。

どこからかって??

それは私にもわからない。

 

心の声に耳を傾けてみたら、辞めようという気持ちになったのだ。

「本来の自分の姿に戻って自分軸で生き給え」

と言ってもらえたそんな気がする。

 

4月から何をやるかは全く決まっていない。笑←ここは泣ではなく笑

さて、どんなステージが待っているのか楽しみ。

さあ、今日は何をして楽しもうかなんて思える朝。

素敵である。

 

ではでは。